先日閉幕したリオ五輪の閉会式の映像をYouTubeで見て、攻殻機動隊で流れていそうな「君が代」を耳にした時、これはいつもの癖なのだが、私は即URLをコピーしmp3を引き抜くサイトに飛んだ。
サンプリングの魅力を深く知ったのは中学か高校の頃に出会ったThe Avalanchesの『 Since I Left You』だったが、実際にコラージュ・ミュージシャンとして創作をするにあたって特に影響を受けたのがJohn Oswaldの諸作とOPNの『Replica』だった。私の中にはこの三者から受け継ぐものが永遠にあることだろう。私は彼らのハイブリッドになりたいという強い気持ちがある。その自覚が芽生えた時から、YouTubeで何かを観ている時、気になった素材があればmp3を引き抜くというのはルーティーンのようになっていたし、この積み重ねによって構築されていくアーカイヴは、私にとっては創作のエネルギーの結晶であり、このHDDこそがアートだと信じて疑わない。
さて、そんなルーティーンの一部分でしかなかったリオ五輪閉会式の「君が代」だが、マリオなどを動員してのパフォーマンスは素直に楽しめたし、2020年に東京にて開催されるオリンピックに対して期待が膨らんだのは間違いないのだが、最後の花火と揶揄される東京オリンピックというより、その後の日本に抱くなんとも言えない不安が拭えることはない。しかし、どうかしようにもどうかできるわけではない。
私は現在、建築の仕事をしているのだが、残業はごく当たり前のことで珍しいことではないし、土曜日働くことだって普通にある。大変ではあるが投げ出したいわけではない。恋人と会える時間は少ないが、将来を約束している相手であり、互いに信頼している。疲れた身体を夜の団地に運び、それをソファに沈めて起動させたMacBookの向こうには私の癒しが待っている。コンビニで買ってきたスーパーカップを食べながら読むDirty DirtやKill Screen、Tiny Mix Tapes、Sex Magazineなどはいつも楽しい。恋人と電話をしながら過ごす夜の方が多いが。スカイプの時もある。時計の針は進んでいき午前12時。明日も早い。寝よう。日曜日まであと何日だっけ。こうして何も変わらない日常が過ぎていく。
日本の暗い未来を私にはどうすることも出来ない。しかし毎日が楽しくないわけではない。むしろ笑顔の方が割合として多いのではないか。”絶望”なんて感情は一切ない。そこまで派手に悩んでいない。はずなんだけれども。
Nozomu Matsumotoが先日〈Roof Garden〉より「Pre-Olympic」と題したシングルを発表した。オリンピックの為に用意された国内最高峰のオーケストラの間を閃光する飛行体が飛び交うような近未来のパフォーミングを目の前にした。アーキグラムからの流れとして私も敬愛するザハがデザインした、幻となった国立競技場に響くに相応しい音だ。実現しそうでしなかった、ifの未来。失われた20年の過去、そして失われていく未来ではない、日本にあって欲しかった音楽。
この国の人口が減っている現実は地方都市においてより肌で感じることの出来るものである。私の地元は人口10万程度の、本当に、本当に何も無い街なのだが、私が通っていた頃は学年40人程度で2クラスに分けていた(それでも都会と比べると圧倒的に少ないのだが)小学校・中学校は、気づかないうちに1クラスに縮小され、教室が余っているそうだ。子供が年々減っており、それは止まりそうにない。2020年を迎える時は大丈夫かもしれない。しかし、2030年、私が幼少期を過ごした母校は消えているだろう。ここ数年、よく田舎の文化のインフラとしてブックオフなどが挙げられる。そこで出会った音楽との...。しかし、私の地元はブックオフが潰れた。どんどんと街が乾いてきている。主要駅周辺も夜は不気味なほどに静まりかえる。そんな田舎にそろそろ60歳を迎える両親を置いて出て行く。都会には人がいるし、「文化」があるから、楽しいし。2030年、2040年、2050年。私の地元は死んでいるだろうけれど、「東京」はなんとかなるんじゃないか。「日本」は終っていくけれど。
こんな風に書いておきながら明日も仕事だ。別にこんなことで不安で押し潰されそうになっているわけじゃない。また変わらない日常を過ごすだけ。でも。2020年について、東京オリンピックについて、考えたい。そしてそれをどう表現すれば良いのか、悩みたい。この言葉に出来ない不安は何なんだろう、と。
○ Kenji Yamamoto https://www.instagram.com/exilevevo/