3/30/2017

ISHMINTY





90年代生まれとそれ以前の人々は肯定・否定の立場に関わらず両者共に”インターネット”を神聖視しすぎたと言わざるを得ない。私はインフラとしての、ツールとしてのインターネットを愛しているし、それらを享受している人間がインフラとしての”インターネット”と、”internet-ish”のヴィジュアルやサウンドを一括りにして叩いていた状況にはヘドが出るほど嫌悪している。そういった連中とは徹底的に距離を取っているし、逆も然りだろう。しかし、そんな私も、その逆も、先の通りに”神聖視”の過熱の結果だと結論づけるのはそこまで難しい話ではない気がする。こんな論争もここ日本では”旬”が過ぎてしまい、結局、空白のまま静かに横になってしまったようだ。その中で90年代生まれの若者たちがピュアに、時間の体験として大きいそれら”インターネット”を自然に、違和感なく、滑らかに対峙している状況は、ここではEBM(T)を指すが、私は幸福なことだと思っている。野次を気にしている場合ではないのだ。そこに付随して、私たちより更に年下の、そう、「00年代」以降に生を授かった子たちの見る世界というのは、私たちが10年代前半に経験した”めんどくささ”とは無縁の、よりインフラとして目地の浮きのないインターネットがあるのだろうと、少し羨ましく思うのだった。