日々過ごしている、この日常を我々は実際どういう風に過ごしているのだろう?〈Orange Milk〉からのリリースも記憶に新しいLoto Retinaとリリースの数は決して多くないもののクラシカルな表現に根ざした美しい音を紡いできたLéo Hoffsaesとの共作は日常そのものの姿を丹念に追った、繊細な作品だ。
日常という文脈の中で子どもの表情、味覚、そして汚言まで並列に語られる脈絡の無さは(作品の紹介文にもあるように)聴き手を困惑させると同時に、逆説的に日常をありのまま映し出す。また、タイトルに冠された「時間」の概念と曲の中で語られる家族の姿は誰にも当てはまるような普遍性を持ちながら、その中に潜む微妙な感情の機微を浮き彫りにさせる。
その日常風景に重なるLéo Hoffsaesの持つ表現手法とLoto Retinaの持つコラージュ感覚の奇妙なコラボレーションも絶妙だ。躁鬱的とも言える弦楽器の抑揚と電子音、環境音の混淆は「語り」と付かず離れずの距離を保ち続ける。その距離感が日常の「原風景」を我々に実感させる。
Mimiのリーディングも素晴らしい。この作品は妊娠中のある女性の視点で構成されていると言えるが、そこにMimiの声が重なることでよりその女性の身体的な実体感が増す。Mimiの声は考える時に浮かぶ、あの「自分の声」の響きによく似ている。彼女の頭の中と自分の頭の中が同一のように錯覚してしまいさえする。この錯覚がより彼女の日常における意識の流れ、時間の流れを我々の中にも色濃く落とし込む。
そもそも、日常に於いて我々は何らかの順序や決められたシナリオに沿って生活を営んでいるのだろうか。自分を自分で完璧にコントロールできているのだろうか。突然やってくる予期しない出来事や自然に湧き出るとめどない感情の波に突き動かされる瞬間。妊娠という経験を通し、一人の人間の中にまた新たな命が宿る感覚。意識と無意識の狭間で揺れ動きながら、日常にある我々の存在をこの作品は美しく切り取っている。その中で最終曲「6 pm」で語られる自然の美しさや家族への言葉を聴くと、そんな日常や自分の変化や揺らぎと向き合い、なお力強く歩んでいこうとする人間の尊さに強く胸を打たれてしまうのだ。
そもそも、日常に於いて我々は何らかの順序や決められたシナリオに沿って生活を営んでいるのだろうか。自分を自分で完璧にコントロールできているのだろうか。突然やってくる予期しない出来事や自然に湧き出るとめどない感情の波に突き動かされる瞬間。妊娠という経験を通し、一人の人間の中にまた新たな命が宿る感覚。意識と無意識の狭間で揺れ動きながら、日常にある我々の存在をこの作品は美しく切り取っている。その中で最終曲「6 pm」で語られる自然の美しさや家族への言葉を聴くと、そんな日常や自分の変化や揺らぎと向き合い、なお力強く歩んでいこうとする人間の尊さに強く胸を打たれてしまうのだ。