ジャン=ピエール・メルヴィル「海の沈黙」(1948)、「マンハッタンの二人の男」(1959)
ハワード・ホークス「遊星よりの物体X」(1951)、「教授と美女」(1941)
ジャン=リュック・ゴダール「イメージの本」(2018)
マノエル・ド・オリヴェイラ「ブロンド少女は過激に美しく」(2009)
ポール・トーマス・アンダーソン「パンチドランク・ラブ」(2002)
ゴダールの新作は訳がわからなかった。退屈な時間も多々あり、寝そうになる瞬間もあった。何が言いたいのか、私の教養と知識じゃ咀嚼することは叶わず。というか意味なんてないんじゃないかとさえ思った。しかし、観終わったあとにすごくやる気がでた。それは私がコラージュの魅力に溺れているという前提があってこそなのだけど、とにかく映像としても音楽としても創作に対する情熱が燃えてきた。88歳のゴダールが膨大なアーカイブをカットアップして並べた「イメージの本」はとにかく圧倒的で、既存の情報ソースをグリッチに歪ませたり、朗読の文脈になぞったり、私がしたいことそのままだったから。88歳。本当にすごい。ジジイになっても創作したい。
企画展 「百年の編み手たち - 流動する日本の近現代美術 -」:
ゴダールの新作は訳がわからなかった。退屈な時間も多々あり、寝そうになる瞬間もあった。何が言いたいのか、私の教養と知識じゃ咀嚼することは叶わず。というか意味なんてないんじゃないかとさえ思った。しかし、観終わったあとにすごくやる気がでた。それは私がコラージュの魅力に溺れているという前提があってこそなのだけど、とにかく映像としても音楽としても創作に対する情熱が燃えてきた。88歳のゴダールが膨大なアーカイブをカットアップして並べた「イメージの本」はとにかく圧倒的で、既存の情報ソースをグリッチに歪ませたり、朗読の文脈になぞったり、私がしたいことそのままだったから。88歳。本当にすごい。ジジイになっても創作したい。
企画展 「百年の編み手たち - 流動する日本の近現代美術 -」:
ヴィクトール・パリモフ「手術」(1920)
神原泰「マリアとキリスト」(1923)
村山知義のコラージュ作品全般
中原實「海水浴」(1924)、「昼の星雨」( 1931)
神原泰「マリアとキリスト」(1923)
村山知義のコラージュ作品全般
中原實「海水浴」(1924)、「昼の星雨」( 1931)
靉嘔「田園」(1956)
石井茂雄「不安な都市」(1956)、「戒厳状態 」(1957)
杉浦康平「蛍光の菊」(1968)
篠原有司男「思考するマルセル・デュシャン」(1964)
森千裕「レモン・ニュース」(2009)
千葉正也「タートルズ・ライフ」(2010)
名和晃平「PixCell-Deer」(2010)
梅沢和木「とある現実の超風景」(2011)
石井茂雄「不安な都市」(1956)、「戒厳状態 」(1957)
杉浦康平「蛍光の菊」(1968)
篠原有司男「思考するマルセル・デュシャン」(1964)
森千裕「レモン・ニュース」(2009)
千葉正也「タートルズ・ライフ」(2010)
名和晃平「PixCell-Deer」(2010)
梅沢和木「とある現実の超風景」(2011)
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篠原有司男「思考するマルセル・デュシャン」(1964) |
企画展「シド・ミード展 PROGRESSIONS TYO 2019」:
アーツ千代田 3331にて開催のシド・ミード展に足を運んだ。敬愛するデザイナーの作品が大量に見れるということで、今回のGWでもかなり楽しみにしていた催し。SF、未来、インダストリアル・デザイン、「ブレードランナー」から「ガンダム」まで。あらゆる要素で自分のフェティシズムが刺激され、ロマンに溢れており、大いに満足。彼が後世に与えた影響は計り知れないし、それはデザインとしても、音楽的な観点でもここから生まれたインスピレーションは莫大であるはず。CADで書いたのかは知らないがXY軸で構成された壁一面の設計図は引き延ばしているとはいえ圧巻だった。直線、曲線、人々の表情、その営み。とにかく世界が緻密に組まれており没入した。パンフレットを購入したので愛読したい。
Mana feat. Torus in K/A/T/O MASSACRE vol.219:
LSTNGTにお誘いいただき通算2回目のK/A/T/O MASSACREに出演。氏とは昨年末の同イベント199回の際に初めてお話をして、とはいえ5分程度の短い会話だったのだけれども、同じくtoeのようなポストロックが好きということで盛り上がったのを記憶している。今回のイベントの主賓はTorusなのだが、正直に聴いたことがなくて、一昔前ならば彼のようなプロデューサーとなると確実に抑えていたというか、純粋に自分のアンテナの方向が変わって情報が追えてないんだなと痛感した。ユースの、若者たちの熱はそこにあるのだろうけれど、自分がそれらからフェードアウトしている感覚は強く、まあ今年27歳なわけでそれはいい年齢だし、こうして「若者」から外れていくのかなと不安も少々。うーん、身の振り方が分からなくなってきたな。
Daiki Miyama
本イベントをLSTNGTと共にオーガナイズ。名前は拝見したことがあったが活動の詳細については存じ上げなかった。いざ話してみると同い年ということで一気に親近感。オープニングDJということで客も大勢とは言えないなか、カーリー・レイ・ジェプセンが悲惨な姿にリミックスされた音源が大音量でForestlimitの空間に響く様はシリアス・ギャグの極致と言えるような出来で、非常に鋭利だった。むかしBoys Of The Sisterhoodが公開していたBritney Spearsの「Till The World Ends」のリミックスを思い出した。あれもズタズタにされていたなぁ。保存した音源どっかいったけど。他の演者に対して観客としてとても前のめりで受け入れていて、すごくピュアだと思ったし、何よりそこが良かった。フライヤーのデザインも手がけているとのことで多岐にわたる彼の活躍が楽しみ。余談としてSNSの雰囲気と本人に乖離がなく、そのバランスが抜群だと思う。
cotto center
SCに公開していた曲が気になって初めて声を掛けたのがいま調べたら8ヶ月ぐらい前。その当時から特にForestlimit周辺には観客として出入りはしていたらしいが、Sim Radioだとかで彼女の音源を取り上げたところ、作曲方面での彼女に対する認知はさほど浸透していないことが伺えるリアクションが多かった。存在は知っているけれど曲を作っていることは知らなかった、的な。本当に勿体無いと思った。で、今回、cotto centerとして初めてライブするということで。彼女の音楽に惹かれる契機となった「azSc」は現行の日本のアンダーグラウンドな電子音楽においてアンセム化してもおかしくない名曲で、とにかく大衆の心を掴むエネルギーがあるし、この曲がSCにて再生数3桁・Favも20以下というのはどうなんだろう。彼女のライブに話は戻り、長めのイントロの向こうからその「azSc」が聴こえてきたときはまるで黒雲が開けて美しい水面が目に映るような気持ちになり、とにかく感動的だった。激しくダイナミックなサウンドを標榜する演者が多いなかで彼女の瑞々しく落ち着いた表現は良いアクセントだった。
自分
LSTNGTには自分は踊らせたりだとかは出来ないのでダンスの流れの上であるとか、ピーク・タイムには置かないでほしいと要望を伝えており、結果、この位置となった。すごく適切。内容はAbsurd TRAXからリリースするアルバムの曲を中心に色々とコラージュしたものとした。CDJ3台使いたい旨を事前に伝えていたが当初は難しいという返事があり諦めていた。しかし、主賓のTorusが4台希望した結果、私としても人生で初めて見る光景の環境でCDJを触ることになった。といいつつ、言い訳にしかならないが、私は要所要所で同時に2つ3つ再生したりするぐらいで基本的にテクニカルなことは出来ないし、それはCDJのポテンシャルを引き出していないので、本当に大きな音で自分の音楽やリミックスを流しただけでしかないから退屈だと思う。死にたい。
これは「アシカ」という曲で、近々ミュージック・ヴィデオを公開する。メトロノリにポエトリー・リーディングしてもらった。
Shattered Form
以前からライブを観たかった人物。日本のプロデューサーでYoshitaka Hikawaと並んで”佇まい”がよいというか、彼らのような突き抜け方だと非常に絵になっており、いつだったか記事でも書いたSuburban Musicの音源にも言えるんだけど、私は自分に無いものを持ってる若者がとにかく好きで、とりわけセクシーな男性は貴重だから、彼らのことは絶対的に信頼する。まったく交流ないから素性を知らないんだけども。私のことを嫌っているぐらいの排他性を、無責任な期待に乗せてしまうぐらい。彼らには軟派な人物とは交流してほしくないし、徹底的にかっこよくあってほしい。で、ライブだが、個人的にこのイベントで一番良かった。長身かつ細身なスタイルと、流麗なヨーロッパ風の衣装、顔を覆う黒の長髪。音楽は見た目が相当に重要であって、その点で彼はこのイベントで一番のロック・スターだった。ヒリヒリした世界観で鈍器を以てぶん殴るようなサウンドがそこに伴えばそれは最高としか言いようがないし、私がティーンの頃から大好きな80年代のNW/ポストパンクのシーンにはそういう存在が沢山いて、そこに抱いた憬れは現代においてはバンドというフォーマットから姿を変えて、個人の電子音楽にあるんだなとさえ思ったぐらい。とにかくセクシーだし、パンクだった。純粋に自分がガキの頃からの音楽観における好みだった。また彼を観たい。
SHaKa-iTCHi
僭越ながら今回のイベントで初めてその名を知った。DJに明るくないので「PCDJでしか出来ないプレイ」というのも漠然としか分からないのだが、彼のDJはその類だったはず。観客に背を向けたスタイルで縦横無尽にジャンルを横断。リンキン・パークの「Numb」ネタが流れた際にカトー氏が我慢できなかったのかカウンターから最前めがけて駆けて行った(ような記憶がある)のが良かった。動画は個人的にお気に入りの箇所。
Torus
Nozomu Matsumotoらと近所の栞という店でお茶をしていたので割愛...。
LSTNGT
ライブが素晴らしいという話は方々から聞いていたので期待していたのだが、確かに抜群だった。Torusを観れていないので暫定だが彼がダントツで聴衆を掴んでいたし、とにかく盛り上がりが凄かった。彼が数年前から取り組んできたトランスやEDMの解釈と、現代の時流は彼とようやく違和感なく邂逅している。ここ数年、実験的にそれらを解体する動きもあれば(The Death of Raveの一部リリースなど)、最新版としての構築もあったりと、あらゆる場面でトランス等は再定義されている。面倒臭いことに人々は浸透したら浸透したでそれを軸に反対方向へと舵を切ろうとするのだが、そんなことは彼には気にせずいてほしい。六本木や渋谷でないスペースで電子音楽的主観からのこのサウンドを鳴らしているプロデューサーが今の日本にどれだけ居るの、という話になるので。彼はアンダーグラウンドな日本の電子音楽に間違いなく多様性を与えているし、終盤、動画のこの曲が掛かったときの小規模ながら情熱的なモッシュと、Torusが蛍光灯の電源を切り、真っ暗にしてからのアンコールまでの流れ(Tohjiのリミックスが流れた!)は、私が少ないながら見てきた音楽イベントで最も多幸感に溢れた時間だった。
キャッシャー近くで物販していたら何人かが購入してくれて売上も2万円ぐらいになりメイクマネーに成功した。なかには全ての作品を買い上げてくれた人もいたりと涙。途中でずっと商品を気にかけておくのがしんどくなり回収したが人生初の物販は上々の結果だった。初めて話す人、久しぶりに話す人、いろいろと出会いがあり安らいだ。イベント後、髪を伸ばしたC没が「山陰に帰りたい」「人生わかんねぇよ」と話していて心配になった。