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'◎omaru◎' by toiret status (Orange Milk/2016) |
ジョージ・クリントンはファンカデリックの楽曲"Promentalshitbackwashpsychosis Enema Squad (The Doo-Doo Chasers)"において「この世は使用無料の公衆便所、おれたちは口からクソをする」と世界を歌った。これは臨済宗の僧侶、無門慧開による禅問答「仏とは何か。仏とは乾いた糞かき棒である(乾屎橛)」のディスコ・エディットだ。ジョージ・クリントンは座禅を組むことなく、大量のLSDと無限に続くファンク・ビートによってその悟りに至った。
中原昌也が「何でもかんでもインターネットで済ませ過ぎなんですよ。銀行の残高をチェックするのも、ポルノ見るのも同じパソコンでするんでしょう。トイレを磨いたブラシで歯も磨くようなものじゃないですか」といった内容の発言をしているのを何かで見たが、菊地成孔は、インターネットをソフト・ドラッグだと言い、それも酒やタバコと違い、みじんも後ろ暗さを感じていないマジョリティのドラッグと見なし、批判し続けている。インターネットもドラッグなら、服用し続ければ何らかのインディーな悟りが開けるのだろうか?
ごく普通の中高生がSNSで複数のアカウントを使い分けているのが当たり前の現在、匿名掲示板が「便所の落書き」などと揶揄されていた時代すら既に懐かしい。便所は今なお拡張し続け、いよいよ世界はファンカデリックの歌のグルーヴ抜き状態となりつつある。ブースにはDJバイラルメディアとMCまとめブログ。公衆便所は無料だが、アドセンスやプロモーションで巧妙にどこかへ誘導されている。
先日、ラッパーのKohhについてGoogleで検索していると、匿名掲示板のKohhのスレッドに行き着いた。「迷走している」「こいつがやっている事はラップじゃなくてカラオケ」「現代アート()」うんこのインクは枯れることがない。そんな中でさり気なく、目を引いた落書きがこうだ。
「Kohhが海外の流行っているフロウをそのままパクってラップするのは、Kohhが首のタトゥーにも掘っているマルセル・デュシャン(”首にはマルセル・デュシャンのモナリ~ザ~”)という芸術家の『レディメイド』という、人の作品や物に自分のサインを書いて『これは自分の作品だ』と主張する手法を取り入れてるんじゃないか?」
この書き込みに対するレスポンスは無く、以下、前述のような書き込みが続く。ブリブリ、ブー。
と、長い前置きはジャ~ッと水に流してtoiret statusのドデカいニュー・シットに話を移そう。山口県在住のトラックメーカーIsamu Yorichikaによるこのプロジェクトが、Orange Milk Recordsからリリースしたアルバムタイトルは「◎omaru◎」(もしかして、Ovalとかかっているのだろうか?)。
Giant ClawやJerry Paperといった、Vaporwave~OPN以降の、インターネットと世界を歌う超今日的テクノ/エレクトロニカ/エクスペリメンタル系アーティストが集うこのレーベルのサウンドの特徴をまとめるのは非常に難しいが、情報量の加入力感、ぶつ切りのカットアップ、ダンスミュージックに対する半笑いの戯画化、誤接続感といったモチーフが散見されるが、いずれもそれでいて痛快なポップさ(ポップスのポップではなく、ポップアートのポップ)を兼ね備えているのが特徴と言えるだろうか。NVやJerry Paperなどは真っ当なシンセポップであるし、Tendenciesによるフレンチエレクトロ風のフューチャーベース、DJ FultonoによるジュークなどDJ USEな需要を満たす作品も多い。
そしてtoiret status「◎omaru◎」のサウンドは、全体的にはジューク風のせわしないビート(#11,#28など)ながら、ジューク本来の粘っこさとスピード感は脱臭され(そう言えばOPNが最近ジュークに挑戦していたが……)、グルーヴはただただ痙攣と化している。
痙攣しているのはビートだけではない。粒上にカットされた声、音の断片は完全に元の意味や文脈を完全に剥ぎ落とされ、純粋な「空気の振動」と化しリフレインする。組み立てた音の秩序はすぐさまその場で否定され、また新たな音の秩序を目指す。我々の耳が頼もしくも恐ろしいのは、どんなにナンセンスな音でも、ループされればたやすくその中にグルーヴという適応するための術を聞き分けられることだが、toiret statusはこちらがループの中にグルーヴを捕まえるその直前を見計らうかのように矢継ぎ早に場面転換を行なう。
トラックを挙げて特筆すべきはやはり、同郷のトラックメイカーDJ WWWWをフューチャリングした#31だろう。DJ WWWWもまたOrange Milkから傑作「Arigato」をリリースしている。ディープ・インターネットの俯瞰と個人ブログ感覚の虫眼鏡ズームを秒単位で行き来するコラージュ・センスと、ストリート感覚の現代音楽的ユーモアを兼ね備え、「日本」という「世界の田舎」を軽くスッ飛ばすポテンシャルを秘めた才人である。彼との共作#31は、狂的・躁的コラージュがビートを捻じ曲げて突っ走る、アルバム中でもダンス/ポップのS/N比が崩壊するハイライト・シーン。サブベースの上で次々に情報が展開され、地元のマイ・メンをフューチャリングしているのでこの曲はヒップホップ。
Giant ClawやJerry Paperといった、Vaporwave~OPN以降の、インターネットと世界を歌う超今日的テクノ/エレクトロニカ/エクスペリメンタル系アーティストが集うこのレーベルのサウンドの特徴をまとめるのは非常に難しいが、情報量の加入力感、ぶつ切りのカットアップ、ダンスミュージックに対する半笑いの戯画化、誤接続感といったモチーフが散見されるが、いずれもそれでいて痛快なポップさ(ポップスのポップではなく、ポップアートのポップ)を兼ね備えているのが特徴と言えるだろうか。NVやJerry Paperなどは真っ当なシンセポップであるし、Tendenciesによるフレンチエレクトロ風のフューチャーベース、DJ FultonoによるジュークなどDJ USEな需要を満たす作品も多い。
そしてtoiret status「◎omaru◎」のサウンドは、全体的にはジューク風のせわしないビート(#11,#28など)ながら、ジューク本来の粘っこさとスピード感は脱臭され(そう言えばOPNが最近ジュークに挑戦していたが……)、グルーヴはただただ痙攣と化している。
痙攣しているのはビートだけではない。粒上にカットされた声、音の断片は完全に元の意味や文脈を完全に剥ぎ落とされ、純粋な「空気の振動」と化しリフレインする。組み立てた音の秩序はすぐさまその場で否定され、また新たな音の秩序を目指す。我々の耳が頼もしくも恐ろしいのは、どんなにナンセンスな音でも、ループされればたやすくその中にグルーヴという適応するための術を聞き分けられることだが、toiret statusはこちらがループの中にグルーヴを捕まえるその直前を見計らうかのように矢継ぎ早に場面転換を行なう。
トラックを挙げて特筆すべきはやはり、同郷のトラックメイカーDJ WWWWをフューチャリングした#31だろう。DJ WWWWもまたOrange Milkから傑作「Arigato」をリリースしている。ディープ・インターネットの俯瞰と個人ブログ感覚の虫眼鏡ズームを秒単位で行き来するコラージュ・センスと、ストリート感覚の現代音楽的ユーモアを兼ね備え、「日本」という「世界の田舎」を軽くスッ飛ばすポテンシャルを秘めた才人である。彼との共作#31は、狂的・躁的コラージュがビートを捻じ曲げて突っ走る、アルバム中でもダンス/ポップのS/N比が崩壊するハイライト・シーン。サブベースの上で次々に情報が展開され、地元のマイ・メンをフューチャリングしているのでこの曲はヒップホップ。
もう1曲は、アルバムのオープニングを飾る短いスキットだが#35だろう。トイレを流す音と、続く様々なサウンドの切れ端は、企業サウンドロゴが増殖しながらどこかに消え去っていくイメージを想起させる。映画のエンドロールの終盤、提供・協力メーカーのロゴマークが流れるパートが、日本のバラエティ番組の異常に速いスタッフロールの長さ100・速度1000倍で流れる一瞬の悪夢。John Zorn率いる凄まじい演奏テクニックのメンバーとともにグラインド・コア解釈のジャズを次々と10秒とか20秒単位で演奏するNaked Cityの諸作品を思い出したが、それよりももっと冷酷にキャッチーだし、笑える。
デュシャンの『レディメイド』による作品でも最も有名な『泉』――便器に架空の人物のサインをしただけの作品――は、初公開時、展示を拒んだスタッフによって、会場を仕切る壁の外側に放置されたという。もちろんデュシャンの試みは単なる奇矯やジョークではなく、現在のキャンバスに疑問を呈し、キャンバスの外側を夢想し、キャンバスを更に拡張するための冒険であったはずだ。インターネットを通じてインターネットの、音楽を通じて音楽の、その外側を常に考え続ける。使用無料の公衆便所の世界、その壁の外側にあるトイレは、誰が用を足し、何が流されているのか?クーソーは頭のコヤシです。
https://orangemilkrecords.bandcamp.com/album/omaru
○@y0kotetsu http://pizzicatoaibu.tumblr.com