3/20/2017

kenji yamamoto ~ fukushima feat. gobby (demo)


3月11日、その日に「3.11を忘れず」だとか、そういった類の言葉をSNSに投稿することを躊躇ってしまい、どうしても出来なかった。私もそろそろいい年なわけだから斜に構えている場合ではないし、「忘れない」ことが大切であることは知っているつもりなのだけれども。そもそも、遠く離れた西日本の田舎で暮らす私にとって、東日本大震災は、叩かれることを覚悟で記すがどこか「他人事」だ。生涯で身の危険を感じる自然災害にも直面をしたことがないし、とにかく”リアリティー”がない。2011年3月11日から経過した6年という時間は私の中の「3.11」が風化していることを否定できないし、ニュースで目にするそのキーワードで、ああ、そんなに経ったんだ、と、思うぐらいで終わってしまっている。興味がないだとか、そういった訳ではない。しかし、義援金を送ることも私は2012年が最後になってしまったし、「3.11」は日々の目の前の生活でいっぱいになってしまっている私の頭のなかでは優先事項が高くないし、それが普通だと思う。名前も知らない人の死は、そばにある愛する人たちのそれらに勝る訳がない。と、くどくどとポエムを書くが、毎年訪れる「3.11」の、故郷や大切な人たちを失った方々の映像を見るという機会は、感じているのは絶対に私だけではないはずなのに同世代の若者達は大して表現しようとしない「言葉にできない閉塞感」のファクターの一つであるのではないかと思う。1991年から2002年とされているこの国の「失われた10年」は誤りであって、正しくは”20年”だったし、順調に”30年”になろうとしている。そんな斜陽のなかで起きた「3.11」は汚い言葉で言うならば”トドメ”だったような気がしていて、そして、立ち直る前に迎える「東京オリンピック」に滲む”最後の花火”の気配はどうしようにも私を不安にさせる。でも、どうしようもない。それをどうにか形にしたい。音楽は社会を反映してきた。私もそういった音楽を作りたい。誰かに届けたいのではなく、”言葉にできない”のだからこそ、音楽としてこの気持ちの悪い感情を嘔吐してしまいたい。