早朝、スーツケース片手に団地の味気ない扉に鍵を掛け外に出た際に、冷房のそれとは異なる爽やかな冷んやりとした空気に身体を包まれた。私が暮らすここは中心街からは外れており、もともと子育て世帯が多く暮らす静かな街だが、この時間帯は特にそれがどこまでも続く。空がまだ薄暗いときだった。ロング丈のTシャツが大好きな私としては秋の気配近づくこの頃は調子がよく、また、気持ちはどこか高揚していた。小倉駅から福岡空港を繋ぐ高速バスに乗り込んだ。iPhoneに入っている何かをイヤホンで聞くわけでもなく、車窓から覗く景色をただ眺めていた。福岡空港に着き、インフラ運営チームが手配した飛行機に乗り、成田空港へ。日々の仕事の疲れもあり、自然と瞼を閉じていた。
成田空港から成田エクスプレスに乗り込み、インフラのプログラムの一つでもあるDOMMUNEでのトークを観覧する為に渋谷駅へと向かっていた。ロサンゼルスのパフォーマーJulius Smackがインフラに合わせて来日していることは事前に知っていた。私に会いたいから行くと言ってくれていた為。その彼からインスタグラムのダイレクトメールが届き、目黒駅近くのとんかつ専門店「とんき」で晩御飯を一緒に食べよう、その後、一緒にDOMMUNEに行こう、と。19時にお店の前に集合で。
早めに目黒駅に到着した私は時間を潰す為にその周辺を散歩してみたが、改めて、知らない街をあてもなく歩くのが好きだと実感した。目黒駅付近は年齢層が高い街だった。年季の入った店が並んでおり、街を包んでいた西日がその古さに風情を与えていた。アスファルトの熱がゆっくりと空気中に放射され、そこを少し生温い風が吹いていた。
LA時間で生きているJuliusが30分の遅刻をし、ようやく入店したとんかつ とんきは非常に人気の店で、中央の厨房を囲うようにコの字に配置されたカウンターは常に満席だった。その後ろに並ぶ待機客用の座席も埋まっていた。天井から下がる照明の光と配置が美しく、厨房から待機席へとグラデーションで多少暗くなる照明計画は厨房の存在を引き立たせ、店の外から店内を覗いたときに感じた板前たちの美しさにも寄与していたと思う。
Juliusとは片言の英語で会話をした。とんかつはLAでも人気らしい。そして、側から見るには充実しているように思うLAのシーンだが、彼としては一つひとつの輪が小さく点在しているとのことだった。まとまりはない、と。当事者にしか分からないものと、外野から見る良さがあるのはどの立場でも言えることなのだと思った。「とんき」のとんかつは確かに美味しかった。ビールが人生でベストに美味しく感じたこともあり、また行きたい。その後、渋谷駅へと向かったが実は恵比寿駅からのほうが近かったらしい。田舎者の性根が染み付いている私はどうも渋谷の交差点に立つと自然と写真を撮ってしまう。遠くに見えたDHCとその右手に見える看板も夜空の映像を写しており、背景となるビルの隙間から見える空との対比が美しい蒼さを生んでいた。
DOMMUNEが渋谷もしくは恵比寿駅から遠いことは聞いていたが、歩くのは好きなのでJuliusと歩いて行くことにした。着いた頃には正直タクシーにすれば良かったと後悔したが駅周辺の喧騒から住宅街へと移りゆく様子は悪くなかった。スタジオへの地下に続く階段を降りた際、そこに腰掛けていた髪を短く刈った女性がALMAだったと気付いたのは少し時間が経ってからだ。彼女はその後、ライブ・パフォーマンスを行うので。
背丈のある重たい鉄扉を開けたその先、スタジオ内で初めて顔を合わせたのは長身で透き通った肌をした、EBM(T)のナイル・ケティングだった。自分が自分であることを伝えると彼は驚いたようなリアクションから優しい笑顔になり自然とハグをした。その隣に立っていたのはCreamcakeのDaniela Seitzで、ナイルが私がDJWWWWであることを伝えると彼女もナイル同様の反応だった。少し奥にいた松本望睦、Anja Weigらとも顔合わせを済ませた私は何でもないような顔をしていたかもしれないが、内心、非常に緊張していたのを覚えている。とりあえず頼んだジンジャエールを口に含ませながらバーカウンターの一番後ろの席に腰をかけた。画面越しに幾度と見ていたDOMMUNEのスタジオは想像以上に狭く、十数名で満員となっていた。この地下空間より世界に向けて配信されている、そのリアルタイムの事実に対峙した際に、「SNSは世界と繋がっている」だとかの感覚ではなく言葉にできない凄みを感じた。心地の良さもありながらどうも不思議だった。
DOMMUNEでのプログラムでは「インフラ INFRA」運営チームである望睦、ナイル、ダニエラ、アニャの4人がEBM(T)、Creamcake、3hd、それぞれについての紹介を行い、その後「インフラ INFRA」というフェスティバルがどういう背景によって生まれたのか、そのミッションは何なのか等について、日本語と英語を交えながらトークしていた。イメージの中の日本と現実でのギャップ、「意外とアナログ」の言葉の胸に来る感じ、なかのひとよの起用について等。同世代の若者が含蓄ある言葉ですらすらと、落ち着いた様子でアートについて論じている姿は刺激的だった。最後部にて機材を前にモニタリングしながら彼らのトークに独り言のように絶えず相槌を打つ宇川直宏がすぐ側にいた。
「インフラ INFRA」トークの終了後、フェス出演者であるALMAとIkuによるライブ・パフォーマンスがあった。ソファに腰掛ていた先ほど階段で見かけた女性、つまりALMAがパフォーマンスのために上着を脱いだところで彼女が彼女であることを知り、昨年、その存在を知った瞬間にこの人は間違いないと確信し、衝動的にSIMでのインタビューを申し込んだことを思い出した。1年越しで叶った、”向こう側”にいた人との出会いだった。
彼女のライブはトラックを流しながらボーカルを乗せていくスタイルで、歌詞の輪郭はなく、歌唱が音そのものだった。私が彼女に惚れ込む契機だったEP「Peach 」の印象とは異なり、ダイナミズムに溢れ、Grimesのようなポップ・ミュージック、ポジティヴに「インディー」が薫る内容だった。ベッドルームだった背景、その名残もありつつ、非常にタフなポジションで勝負する気概を感じ、とにかくエモーショナルだった。彼女とゆっくり話をしたかったしIkuのライブも見たかったが、時間の都合もあり望睦とDOMMUNEを後にした。
滞在期間中は川崎市にある望睦の家にお世話になった。彼の家に行くまで、そして着いてからも、会話はごく自然に続いていた。彼との出会いはSNS上で、お互いを認知してからは数年以上が経過していた。彼がしていることが好きだったし、彼も私のことを気にかけてくれていた。「インフラ INFRA」への出演を彼に依頼されたとき、今まで一度もそういった経験がない私にとって怖さがあったが、それが霞む、「彼に会いたい」という気持ちが強かった。私が知っていること、私が知らないこと、彼が知っていること、彼が知らないことの縫い目は滑らかで、彼に共感し、尊敬していたので断る理由がなかった。彼との会話で感じた心地よさはナイスショップスーの笹島さんと会話した時のそれと同じものだったし、やはり、この瞬間が私はずっと欲しかったんだと思う。旅客を気遣った、彼のホスピタリティ溢れるもてなしに甘えつつ、今まで私の日々の生活で全く交錯することがなかったオンとオフの線上に立っている事実をいつまでも噛み締めていた。