7/23/2016

eee ~ w:speak / darkness / dreams / machine / terms






 先日掲載したrrr Gと共振するのがeeeだ。数十年後のアート誌にてYouTubeの登場は確実に感性の変革として、タームとして論じられるだろうが、その分かりやすいサンプルをeeeというふざけたアカウントはあまりにも静かに地下に展開してくれている。”インターネット的”とするアートが3Dモデルの滑らかな質感に終始していないだろうか。形骸化してしまった故に早くも人々はそれらを過去にしようと画策している。個人的に”インターネット的”とはクラウドやSNSに依存した無価値の映像群をフリックした時に滑らかにスクロールされ流れていく様が最も近い。eeeが自身のアカウントに並べるのもrrr Gと同じく無価値の映像だ。適当に拾ってきた映像。適当に撮影してきた映像。非日常のエンターテイメントは皆無であり、誰にでも生産出来るゴミ。それをiMovieか何かで編集すれば出来上がりだ。さすがにiMovieは安すぎるか。Dean BluntとJames Ferraroの登場があったからこそ成り立つアート。しかし、rrr Gの時と同じ言葉を繰り返すがなんとも言えない心地良さがあるのがイマであり、YouTubeという額縁が想像以上に、アートに対し無意識に効果的に機能していることがわかる。D/P/IもYouTubeがあったからこそより一層輝いたのは正直に認めなければならないだろう。