7/03/2016

'Inside' by Playdead

Inside

 『Limbo』の開発で知られるスタジオ〈Playdead〉が、待望の新作2D・パズル・アクション『Inside』を発表した。E3 2014にて2015年上旬でのリリースをアナウンスしていたが、延期となっていた。以下はそのE3 2014にて公開されたトレーラー。



 まず、同スタジオの前作である『Limbo』について。『Limbo』は2010年にXbox Liveにてリリースされ、後にPCとPS3にも移植され述べ300万本を売り上げた、近年のインディ・ゲーム・ムーヴメントを代表する作品の一つだ。「行方不明になった妹を探しに行く」、というシンプルなストーリー。登場人物は一切言葉を発することはなく、世界は影絵かつ絵本を思わせるモノトーンであり、酷(むご)く美しい「死(ゲームオーバー)」がいたるところに転がっている。首が飛んだり、押し潰されたり、串刺しになったり。近年の表現技術の向上に即していたならば目を覆いたくなるようなゴア・シーンも、『Limbo』ならば不思議と心地良いものとなる。Andy RileyやEdward Goreyの作品のようなシュールやナンセンスをヴィデオ・ゲームで体験する、と言えば伝わりやすいだろうか。



 さて、『Inside』は先の通り発売延期もあり、5年という歳月を重ねて開発された渾身の作品なのだが、そのハードルの高さは〈Playdead〉にとっては問題のないものだったようだ。まず、今年のE3でリリース前に公開されたトレーラーを。



 私がこの映像を見て思い浮かべたのはアメリカのモダン・アートの巨人、Edward Hopperが1942年に発表した『Nighthawks』だ。『Nighthawks』はニューヨークの静かな夜に営まれるカフェの一場面を切り取った作品だが、この絵を見て感じる何とも言えない孤独や不安(私は左側の手間の男性に自分を重ねる)を『Inside』の予告から受け取った。『Nighthawks』が描かれたのは第二次世界大戦の最中であり、『Inside』は2010年代。一方は絵画であり、一方はヴィデオ・ゲームだ。前者が描きたかったのは、”「自由の国・アメリカ」の中で自分に迫る社会の重圧”だと考える。それでは、後者は?

'Nighthawks' (1942) by Edward Hopper

 『Inside』は形式としての『Limbo』の発展型である。前作と同様に”モノクロ”の世界でパズルを解きながら「死」に触れていく。違いというと、圧倒的に高品質になったグラフィックと、奴隷制度?人間を管理する工場?刑務所?が配置されたディストピアという世界設定、そして、『Nighthawks』の空間的な静けさだ。テクノロジーの発達を享受し、時代を先行する大企業のオフィスや工場には、数多の従業員が日々の業務に取り組んでおり、「毎日」が繰り返されていく。自分の仕事を必死にこなす中で、段々とフロアから光が消えていき、昼間の騒々しい環境から静寂に変わる。今日も残業か、と溜息をつく。時刻は23時を過ぎたところだ。
 『Inside』はよくある”ディストピアもの”の”不条理ゲー”ではない。社会に出た誰もが体験する、”都市の夜の孤独と疲弊”を歩くゲームだ。もちろん、本作はそんな日常を描いたものではないのだが、整列させられた人間と、人間らしきものが行進する・させられる異様に思える『Inside』の光景は、特別にゲームの中でのおとぎ話ではなく、都会の通勤ラッシュでも見ることは容易だ。全員が全員、スマホに吸い込まれている交差点での光景も同様である。『Inside』は『Nighthawks』の訴えるメッセージを受け取っている。
 本作のクライマックスは自身で確かめていただくとして、”あの”シーンはおぞましいとしか言いようがない。”あれ”の果てをあなたはどう考えるか。私は満員電車に詰め込まれる”人間団子”の人々のようにも映ったのだが。