10/31/2016

djwwww ♡ 'Purr Trance for My Ugly Life (Mixtape)'




2016 AW

SIMS: CVN // SIM MIX: #006 CVN ~ 'Inverse'


先日、Where To Now?よりデビューした東京のCVN。彼には多くの言葉を語らせるよりこちらの方が説得力があるだろうと思い、AtoZを頭文字とするフェイバリットを挙げてもらった。彼の背景にあるものを探る。



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A n-i



B urial Hex



C ircle Of Ouroborus



D racula Lewis



E lon Katz



F emme En Fourrure



G erman Army



H ell



I I III Eye feat. Hype Williams - Hounds Of Hate



J S Aurelius



K oudlam



L orelle Meets the Obsolete



M ischa Pavlovski



N R 1 - KWC 92




O ctavius



P rimitive Art



Q R JR - James Ferraro




R SS B0YS



S ocila Drag - John The Baptiste (Salem)

 


T otal Angelica - Є+Э



U ntrue - Burial




V ereker



W hite Ring



x ombies 2 - Ramzi




Y ou Were Wrong - Sd Laika




Z achary - A Grave With No Name



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Tracklist:
  1. Halouzka - PR 1901
  2. Disasterpeace – Title
  3. Blood Room – Spa Fon w/ SOLO1
  4. Izy – Tell ya
  5. CVN – Inverse Real
  6. N-Prolenta – SCREAM PA MI(for @deezius and kola)
  7. Converge – Black Cloud (Italian Wardrobe mix)
  8. CYPHR – Wetware
  9. CVN – Midst of Duty
  10. Metrist – Petrol Arses
  11. Evan A. James – Flip
  12. Lil Ugly Mane - Send Em 2 Tha Essence
  13. Disasterpeace – Detroit
  14. WWWINGS – WYVERN (Letta Remix)
  15. Hell - Decedere

10/23/2016

'mixtape' by eeli&dj.¥€$ / 'SOUR EARTH' by julien [Wasabi Tapes]

'mixtape' by eeli&dj.¥€$ [Wasabi Tapes]
'SOUR EARTH' by julien [Wasabi Tapes]

eeli(ex-eee)とdj.¥€$によるミックステープ「mixtape」、julienによるEP「SOUR EARTH」を私のレーベルであるWasabi Tapesよりリリースした。
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eeliは無名だがSalon & Coughやchookiessss等のようにクラブに寄り過ぎないバランス感が良い。純粋にディストピアなSF世界を好んでいるとでもいうのか、素材こそは現行のクラブでの機能性も有しているがダンス・ミュージックの色気は無いし、ただただ無機に徹している。ポップスやヒップホップからのサンプリングもそれらの色彩は脱色してしまって、そこにあるだけ。誰にも見られていない場所でのマスターベーションもパッケージすれば形になる。事実、eeliは私の中で太くなった。julienは昨年リリースしたコンピレーション・アルバム「美しい (Utsukushii) I&II」にも参加をしてくれたデンバーのプロデューサー。今年Orange Milkからデビューした。同レーベルから先日リリースしたばかりのtoiret statusと重なるメタリックな質感と、鏡張りの空間に鮮やかで細かい粒子をスーパーボールの如くぶちまけたような反響するビート、そして飛び道具的遊び心のあるポップなサンプリングの着眼点、うむ、人気が出ないわけがない。このEPのリリースは彼からのラブコールにて実現したわけだが、私の元に届く「Wasabi Tapesからリリースしたい」といった類の音はポップであり実験でありと、正しくレーベルに色が付いており安心している。




10/19/2016

SIM MIX: #005 食品まつり a.k.a foodman ~ '釣心会例会MIX'


私はポップミュージックがその後ろにある音楽が好きだ。敬愛するOPN、James Ferraro、Gobby、Giant Clawたちの後ろには底知れぬポップミュージックのエネルギーがある。愛情や批評、どんな形でもいい。彼らのように、この世で最も求心力のある”ポップミュージック”なるものを作家のフィルターを通し、世間一般的には醜悪な形で吐き出したものこそが時代の先端で輝く美の結晶である。ポップミュージックはタフだ。向き合うのは根気が必要である。しかし、その姿勢は後世から見た時に必ずや尊敬の念で迎え入れられる(彼らは現在もしっかりと絶大な支持を受けているわけだが)。私がジョン・オズワルドやカール・ストーンの作品群に衝撃を受けたように。
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Foodmanを何かにカテゴライズしようと試みると、そこには彼が人生の歩みの中で耳を傾けてきたであろう、ポップミュージックのフィールドが遠い地平線を描いており、その広大さに対し途方に暮れる。”これは何なんだろう?”。Foodmanが作り出す音は軽妙であり奇天烈だが、耳を塞ぎたくなるようなトラッシュではない。あらゆるジャンルを咀嚼した”Xジャンル”が”ダンスミュージック”として、”ポップミュージック”として機能し世界中の人々の心に届くのは何故なのか?

その答えは彼に「得体の知れなさ」が無いからだろう。彼はバンドマンでありクラバーである。それらと相容れないはずだったインターネット・ミームも等しく愛す、徳の深い人物だ。RAのライターとそのライターが絶対にRAでは取り上げないであろうVektroidの両者からラヴ・コールを受け取るのは至難の技だが、Foodmanはナチュラルにそれを実現している。何の嫌味もなく、何のポーズもせず、彼は自然体で日々を過ごし、日々を音楽にする。彼は口数も多い。くだらないジョークも口にする。秘匿性を盾にすることで得るクールネスに頼っていない。よく喋り、よく作る。そんな人となりは奇怪で歪な音の輪郭に丸みを帯びさせる。彼が多くの音楽やその文化を愛しているように、彼の音楽は誰からも愛される優しさを持ち合わせているのだ。

愛情でも批評でもいい。私は”ポップミュージック”と向き合っている実験の音楽が好きだ。いま日本の先頭を走るFoodmanがそんな人物で良かったと心から思う。彼から広がる波は現行と未来の”ジャパニーズ・エクスペリメンタル”をより活性化させるだろう。個人的に”ノイズの国”としての”ジャパニーズ・エクスペリメンタル”はいい加減に更新したい。あの世代は偉大だ。高い壁だ。しかし、いつまでもそれでいては面白みに欠ける。OPNやJames Ferraro、GobbyやGiant Clawのような音楽が日本から出てこなければならない。私自身の活動の目標もそこにある。こんな私見を織り交ぜて彼を巻き込み、彼の肩に重荷を載せるつもりはない。しかし、私にとって彼はいまの日本で最も輝いて映るのだから仕方がない。純粋に大ファンなのだ。
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今回Foodmanが我々に提供してくれたSIM MIXは、彼の原点とも言えるバンド「釣心会」の音源をまとめた貴重なものだ。現在、欧州ツアーを敢行し、ますます太くなっているFoodmanの過去を覗こう。



Tracklist:
  1. デストロイ - 釣心会
  2. ジェームスディーン- 釣心会
  3. ヅラ- 釣心会
  4. 森のくまさん- 釣心会
  5. 月明かりと猫- 釣心会
  6. プロペラ- 釣心会
  7. マウンテン- 釣心会
  8. ボーイングラブ- 釣心会
  9. ヒラヒラ- 釣心会
  10. ハイナレッドのテーマ- 釣心会
  11. オレンジジュースCM- 釣心会
  12. タンポポ- 釣心会
  13. アラポテト- 釣心会
  14. シナプス- 釣心会
○ 食品まつり a.k.a foodman https://soundcloud.com/shokuhin-maturi

10/16/2016

N. BRENNAN ~ SCARY MOMENTS III (PREVIEW)


2016年1月に書いたものを改変:
2014年8月、gamescom 2014にて新作ホラー・ゲーム『P.T.』が発表された。構成は大まかに10メートル程度の曲がり角のある暗い廊下歩くだけ。至極シンプルながらその完成された恐怖演出はたちまち話題となり、2014年のベスト・ゲームに挙げる声も少なくなかった。


P.T. - FULL Walkthrough PLAYTHROUGH PlayStation 4 HD 1080P | No COMMENTARY

後に『P.T.』は、先日、KONAMIを退社し新プロダクションを立ち上げた小島秀夫と『パンズ・ラビリンス』等で知られるメキシコ人映画監督ギレルモ・デル・トロがタッグを組み制作中の、『サイレント・ヒル』シリーズ最新作『SILENT HILLS』のティーザー的な位置づけの作品だということが判明した。しかし、その後は知られている通りに『SILENT HILLS』の開発中止がアナウンスされ、『P.T.』も再ダウンロードが不可能となり、まさに”幻の作品”となってしまった。そして、小島秀夫のKONAMI退社に続く。世界中のファンがKONAMIに失望し、小島秀夫には『SILENT HILLS』開発再開への要望が多く集まっている。

ティーザーでありながら『P.T.』が遺したホラー・ゲーム新世代の演出の衝撃は凄まじく、本作にインスピレーションを受けた映画、ゲームなど様々な分野のクリエイターがその遺伝子を継承しようとしている。


Allison Road - Prototype Gameplay

『アバター』等でコンセプト及び環境アーティストとして映画製作に関わってきたChris Keslerが、『P.T.』配信2日後に制作に取り掛かったという『Allison Road』は、現在、6名と少数構成の新興インディー・スタジオ〈Lilith〉が開発中の、”ポスト『P.T.』最右翼”と言える期待のタイトルだ。Unreal Engine 4で描かれる不気味なロンドンのタウンハウスを舞台に、記憶喪失の男性が謎を解明していくというコンセプト。2016年の発売を目標としている。どこにでもありそうな”家”という環境ながら、どんよりとした重たい空気が広がり、静寂が何よりも恐怖を増幅させるのはまさに『P.T.』。後ろを振り向くことを躊躇うこの感覚は、ジャパニーズ・ホラーのお家芸と言える演出であり、ここを『Alison Road』は上手く表現できている。
※その後、開発中止がアナウンスされたが再開となった。


Layers of Fear Gameplay Preview - P.T. Inspired Psychedelic Horror

〈Bloober Team〉が開発したサイケデリック・ホラー『Layers of Fear』は、画家の精神に入り込み、絵画が完成するまでの間に何があったかを探索するという内容。現実と虚構の間をトリップする感覚は『P.T.』にて廊下が赤く染まったパートで脳震盪を起こしたように視界がボヤける部分に通じるものがある。


The Peterson Case Teaser Trailer

3人構成のインディー・ディベロッパー〈Quarter Circle Games〉が手がけた『The Peerson Case』は、ロズウェル事件で知られる1947年のアメリカ、ニューメキシコ州ロズウェルを舞台に、忽然と姿を消したPeterson一家を追う探偵Franklin Reinhardtを描いたホラー・アドベンチャー。プレイヤーは一家が住んでいた家やその周辺を探索し、パズルを解きながら何が起きたのかを知っていく。この作品も『P.T.』同様に日常生活の範囲に潜む恐怖の”何か”を描いている。

ポスト『P.T.』の共通項は”静寂”と”日常の延長線”だ。”ありえるかもしれない恐怖”をしっとりと演出する。精神の内側、裏側からジリジリと蝕まれるような感覚。これらに戦闘要素は無いように思われるし、銃や超能力も存在しない。大量のゾンビが大きな音をたてながら登場することもない。冷えた身体に伝う汗の、あの嫌悪感が永遠に続くとでも言おうか。この”ホラー新世代”はグラフィック技術の向上が助けたものであり、UnityやUnreal Engineなどパブリックな製作エンジンの存在は無くてはならないだろう。数人でのゲーム開発が活発になり、インディー・シーンがここまで大きくなったのはアートの拡張と言っても過言ではない。今後、ますますゲームは面白い領域に突入するはずだ。

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N. BRENNAN 2014

N. BRENNAN 2015

N. BRENNAN 2016


10/15/2016

SIM LETTER from @y0kotetsu: toiret status ~ ◎omaru◎ [Orange Milk]

'◎omaru◎' by toiret status (Orange Milk/2016)

ジョージ・クリントンはファンカデリックの楽曲"Promentalshitbackwashpsychosis Enema Squad (The Doo-Doo Chasers)"において「この世は使用無料の公衆便所、おれたちは口からクソをする」と世界を歌った。これは臨済宗の僧侶、無門慧開による禅問答「仏とは何か。仏とは乾いた糞かき棒である(乾屎橛)」のディスコ・エディットだ。ジョージ・クリントンは座禅を組むことなく、大量のLSDと無限に続くファンク・ビートによってその悟りに至った。

中原昌也が「何でもかんでもインターネットで済ませ過ぎなんですよ。銀行の残高をチェックするのも、ポルノ見るのも同じパソコンでするんでしょう。トイレを磨いたブラシで歯も磨くようなものじゃないですか」といった内容の発言をしているのを何かで見たが、菊地成孔は、インターネットをソフト・ドラッグだと言い、それも酒やタバコと違い、みじんも後ろ暗さを感じていないマジョリティのドラッグと見なし、批判し続けている。インターネットもドラッグなら、服用し続ければ何らかのインディーな悟りが開けるのだろうか?

ごく普通の中高生がSNSで複数のアカウントを使い分けているのが当たり前の現在、匿名掲示板が「便所の落書き」などと揶揄されていた時代すら既に懐かしい。便所は今なお拡張し続け、いよいよ世界はファンカデリックの歌のグルーヴ抜き状態となりつつある。ブースにはDJバイラルメディアとMCまとめブログ。公衆便所は無料だが、アドセンスやプロモーションで巧妙にどこかへ誘導されている。

先日、ラッパーのKohhについてGoogleで検索していると、匿名掲示板のKohhのスレッドに行き着いた。「迷走している」「こいつがやっている事はラップじゃなくてカラオケ」「現代アート()」うんこのインクは枯れることがない。そんな中でさり気なく、目を引いた落書きがこうだ。

「Kohhが海外の流行っているフロウをそのままパクってラップするのは、Kohhが首のタトゥーにも掘っているマルセル・デュシャン(”首にはマルセル・デュシャンのモナリ~ザ~”)という芸術家の『レディメイド』という、人の作品や物に自分のサインを書いて『これは自分の作品だ』と主張する手法を取り入れてるんじゃないか?」

この書き込みに対するレスポンスは無く、以下、前述のような書き込みが続く。ブリブリ、ブー。



と、長い前置きはジャ~ッと水に流してtoiret statusのドデカいニュー・シットに話を移そう。山口県在住のトラックメーカーIsamu Yorichikaによるこのプロジェクトが、Orange Milk Recordsからリリースしたアルバムタイトルは「◎omaru◎」(もしかして、Ovalとかかっているのだろうか?)。

Giant ClawやJerry Paperといった、Vaporwave~OPN以降の、インターネットと世界を歌う超今日的テクノ/エレクトロニカ/エクスペリメンタル系アーティストが集うこのレーベルのサウンドの特徴をまとめるのは非常に難しいが、情報量の加入力感、ぶつ切りのカットアップ、ダンスミュージックに対する半笑いの戯画化、誤接続感といったモチーフが散見されるが、いずれもそれでいて痛快なポップさ(ポップスのポップではなく、ポップアートのポップ)を兼ね備えているのが特徴と言えるだろうか。NVやJerry Paperなどは真っ当なシンセポップであるし、Tendenciesによるフレンチエレクトロ風のフューチャーベース、DJ FultonoによるジュークなどDJ USEな需要を満たす作品も多い。

そしてtoiret status「◎omaru◎」のサウンドは、全体的にはジューク風のせわしないビート(#11,#28など)ながら、ジューク本来の粘っこさとスピード感は脱臭され(そう言えばOPNが最近ジュークに挑戦していたが……)、グルーヴはただただ痙攣と化している。

痙攣しているのはビートだけではない。粒上にカットされた声、音の断片は完全に元の意味や文脈を完全に剥ぎ落とされ、純粋な「空気の振動」と化しリフレインする。組み立てた音の秩序はすぐさまその場で否定され、また新たな音の秩序を目指す。我々の耳が頼もしくも恐ろしいのは、どんなにナンセンスな音でも、ループされればたやすくその中にグルーヴという適応するための術を聞き分けられることだが、toiret statusはこちらがループの中にグルーヴを捕まえるその直前を見計らうかのように矢継ぎ早に場面転換を行なう。

トラックを挙げて特筆すべきはやはり、同郷のトラックメイカーDJ WWWWをフューチャリングした#31だろう。DJ WWWWもまたOrange Milkから傑作「Arigato」をリリースしている。ディープ・インターネットの俯瞰と個人ブログ感覚の虫眼鏡ズームを秒単位で行き来するコラージュ・センスと、ストリート感覚の現代音楽的ユーモアを兼ね備え、「日本」という「世界の田舎」を軽くスッ飛ばすポテンシャルを秘めた才人である。彼との共作#31は、狂的・躁的コラージュがビートを捻じ曲げて突っ走る、アルバム中でもダンス/ポップのS/N比が崩壊するハイライト・シーン。サブベースの上で次々に情報が展開され、地元のマイ・メンをフューチャリングしているのでこの曲はヒップホップ。



もう1曲は、アルバムのオープニングを飾る短いスキットだが#35だろう。トイレを流す音と、続く様々なサウンドの切れ端は、企業サウンドロゴが増殖しながらどこかに消え去っていくイメージを想起させる。映画のエンドロールの終盤、提供・協力メーカーのロゴマークが流れるパートが、日本のバラエティ番組の異常に速いスタッフロールの長さ100・速度1000倍で流れる一瞬の悪夢。John Zorn率いる凄まじい演奏テクニックのメンバーとともにグラインド・コア解釈のジャズを次々と10秒とか20秒単位で演奏するNaked Cityの諸作品を思い出したが、それよりももっと冷酷にキャッチーだし、笑える。

デュシャンの『レディメイド』による作品でも最も有名な『泉』――便器に架空の人物のサインをしただけの作品――は、初公開時、展示を拒んだスタッフによって、会場を仕切る壁の外側に放置されたという。もちろんデュシャンの試みは単なる奇矯やジョークではなく、現在のキャンバスに疑問を呈し、キャンバスの外側を夢想し、キャンバスを更に拡張するための冒険であったはずだ。インターネットを通じてインターネットの、音楽を通じて音楽の、その外側を常に考え続ける。使用無料の公衆便所の世界、その壁の外側にあるトイレは、誰が用を足し、何が流されているのか?クーソーは頭のコヤシです。

https://orangemilkrecords.bandcamp.com/album/omaru

10/11/2016

SIM REPORT: ZONE UNKNOWN V @ TROOPCAFE 2016-10-08

 

 自身の拠点である大阪、そして関西を中心に、日本を代表するDJとして精力的な活動を続ける行松陽介。その彼が主催するパーティーが「ZONE UNKNOWN」だ。今年の2月に開催されたShapednoiseの来日公演を皮切りに、Imaginary Forces、Kamixlo、Aïsha Deviと彼の情熱的かつ先鋭的なDJプレイと同じく、その都度時代を切り拓くアーティストを招聘し、音楽の新たな魅力を伝えてきた。今回は〈Mixpak〉から『PAGAN』をリリースし、ネオダンスホールを象徴するアーティストとして注目を集めるPalmistry、そしてN-prolenta、WWWINGSを輩出した〈PTP〉、〈Hyperdub〉からリリースし、着実にシーンへの影響力を高めるEndgameをゲストに神戸Troopcafeで5回目となる「ZONE UNKNOWN」が開催された。
 
 今回で一旦休止になってしまう「ZONE UNKNOWN」だが、Zodiak、satinko、ECIV_TAKIZUMIといった実力のあるDJがそれぞれ素晴らしいプレイを披露し、Palmistry、Endgame、行松陽介のプレイが会場の熱を高め、終わるには惜しい余熱を残した回となった。今回はご厚意でパーティの模様を撮影させていただいた。写真から今の関西シーンの孕む熱量と、彼らのDJプレイに興味を持っていただければ幸いだ。


















○ ZONE UNKNOWN V @ Troopcafe 2016-10-08

10/06/2016

Isaac Goes ~ journal (3.22.16 - 6.5.16) : reload(ed)


I feel that in many ways images comprise me, in talking to a friend about making a top 10 films list I jested: “this is who I am” - in all honesty a bit of this is true.  The best essay I have read recently has been Susan Howe’s Sorting Facts in which she observes a facet of cinematic memory that I find to be particularly poignant
Some of my earliest memories are film memories confused with facts.
A simple sentiment but a true one nonetheless, with my personally most powerful example being a scene in Paris, Texas in which a young boy and his father share lunch in the bed of a truck parked under a freeway overpass.  I must have seen this scene at some point during my childhood and the image had subconsciously stuck with me to the point where, in all of memory’s haze, it was indistinguishable from the image of a lived event. When I unknowingly revisited this scene a few years ago it felt as though two ends of myself had finally met, as if part of me had briefly slid through a fissure in time.
For various reasons, I have as of late entered into a (now recurring) phase in which I feel as if I have fallen out of cadence with the motion of the world -  i.e. time marches on, but I am not keeping even with the pace.  This is not necessarily a bad feeling, but it is certainly confusing, and unlike the lead character in Powell and Pressburger’s synonymously titled masterpiece: I (do not) Know Where I’m Going! (1945) 
For better or for worse I have been losing myself entirely in films (a recent Matrix Trilogy obsession had me in another world for about a week) and most recently in editing this.  Digging through old hard drives and iPhoto libraries, revisiting bits of films - Tip: don’t watch the last scene of Bridges of Madison County in a cafe unless public emotional collapse is something you invite.  If my sense of time was off before, I’m sure staying up until 6 am obsessively editing for a few nights in a row did nothing to remedy this.
A short while ago, I was concerned with creating abstract images in a way that seamlessly melded various images together into a culmination of disorienting nascent motion.  I wanted to do this in such a way that it would be impossible for the viewer to get a spatial bearing on the image, with only its unfolding comprehensible.  
With this journal film however, I felt a need not to allow images to blend together, but to form layers.  For images & sequences to never fully congeal nor violently clash with one another in montage. Rather, what I would like is for them to bump up against each other, to rest in proximity.  In dealing with cinematic memory I feel that it is necessary not only to present “appropriated” material in dialogue with my own footage, but to convey this relationship in a manner similar to the way that these images resound and reverberate within myself.   


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Here; time, memory, departure & return are what I have tried to elucidate, through the decompartmentalization of the images that account for much of who I am at this moment in time.  I put much more work into this journal iteration, as this is an undoubtedly more cohesive personal essay.  If the last one was a drawing this one is in fact a journal entry.